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ネットユーザーの低年齢化

体罰、いじめ、幼稚園の待機児童など、子供と教育に関しては多くの問題が存在しているだろう。私はそれらの中で最も重大なのが「ネットユーザーの低年齢化」であると考える。しかしながら、この問題に対しては何らの対策がなされてはいないように思える。それどころか、そもそも問題視すらされていないのではないだろうか。

具体的な例を挙げると、ツイッターでは小中学生のユーザーが溢れ、youtubeニコニコ動画では、論点または動画の趣旨を捉えきれていないようなコメントや、言葉の使い方に誤謬を含むコメントが散見される(もちろん、そのようなコメントの書き手が必ずしも子供であるとは限らないが…)。また、いわゆる「詐欺コメ(=営利目的で自らの商売の宣伝をする怪しいコメント)」に対して、過剰に反応し非難をするコメントを見たことがある人も多いのではないだろうか。彼らはそのような営利目的のコメントが自動的になされることを理解していないようである。

もちろん、子供がネットを利用するなと主張したいわけではない。IT化が進む現代社会において、パソコン操作に通じていない人材が不利益を被る可能性も否定できないし、友人との交遊においてネット使用を制限されている子供が悲しい目に合うことも想像に難くない。もはやそういう時代に到達しているのだ。

それでは何が問題なのであろうか。デメリットは数多く考えられるが、以下に2つの重要な問題を挙げる。

第一に、教育に関する問題である。周知の通り、学校で使用される教材は文部科学省の実施する審査を受け、それに合格したものが使用されている。しかしながら、ネットの情報は何らの審査も受けない。良い意味で「自由な」意見、一方で非常に偏った意見が主張されるのだ。小中学生においてはメディアリテラシーの能力が未成熟な場合が多い。データの読み方、相手の意見の汲み取りなどは社会科や国語科を通して徐々に学んでいくが、そのような学力基盤のない状態でネットの情報に飛び込んでいくのは非常に危険であるはずだ。動画サイトには国家批判や宗教批判、政党批判に関するものが多々アップされているが、被権利侵害者の申し立て等がない限りその情報はそのままの形で公開され、子供たちはそれらを完全に信じてしまう可能性がある。批判的な観点から情報を考察する子供などまずいないだろう。そして、それらの情報のやり取りは子供とパソコンの間のみで行われる。他の誰も介入していない点で、子供がその情報について周りの大人に意見を求めない限り、修正の余地を残さないのだ。中国の反日教育を批判する人もいるが、それとあまり変わらない状況が現に存在しているのである。

第二に、現実への関心の希薄化である。ネット上には大量の情報が存在し、その名の通り網状に情報が広がっている。ひとたびネットに入り込んでしまうと、そこから抜け出すのが難しくなる。近年ではネット上で、アニメが子供たちだけでなく大人の注目も浴びているが、現実世界とは異なる二次元の世界が展開されることで、明るく話題に富み奇想天外な展開を期待できる二次元の世界に関心を過度に抱きすぎて、現実の世界に絶望感や不安感を感じる人も多いのではないだろうか。これは近年の選挙率の低下にも連関をもちそうだ。また、小説とは違った、映像や音がすべて備わっているアニメの世界は、想像力を減退させ、考える力を衰えさせる可能性も有している。さらに、以前は社会に適応できなくなった人々が二次元の世界に逃避するという構造が存在していたが、今日では二次元の世界に踏み込みすぎてしまったため社会に適応できなくなるという、順序の逆転が生じているようにも思える。これらはネットのアクセシビリティ(近付きやすさ)や情報の多量さに原因を見出すこともできそうであろう。

以上のように、便利さ、娯楽性の反面、ネットの抱える闇は大きい。性的暴力的な情報など有害な情報の子供への伝達を制限する対策は一部ではとられているが、ネットの情報の多量さゆえにすべてを制限することは不可能に近い。家族や学校など、周りの大人によるより一層の注意が改めて必要とされているのではないだろうか。