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映画:終戦のエンペラー

終戦のエンペラーという映画を見てきた。ほぼ満席だったのだが、客の9割5分がご老人の方々で、自分はかなり浮いていたような気がする。

ネタバレは人間最悪の行為であると考えるので内容の詳述は控えるが、とても満足のゆく映画だった。2回も泣くとは予想だにもしなかった(笑)

 

今回の映画はもちろん戦争ものであった。ところで、最近領土問題や憲法9条改正のニュースを頻繁に目にするが、皆さんはどうお考えだろうか。恐らく僕が生きている間は少なくとも日本で戦争は起こらないであろう。しかし、永遠に戦争の方向に進まないとは断言できないと考える。

自分は平和主義であり、どんなことがあっても戦争をすべきではないと考える。戦争だけでなくいかなる武力行使もすべきではない。が、自衛に関しては問題がある。流石に諸外国からの攻撃を無抵抗で耐えろとは思わない。しかしながら、あらゆる戦争が自衛という名の下に行われてきた。国民が自衛か否か判断しなければならないが、ナチス政権下のように国民さえ誤った方向を支持することもあるのだ。

そうであるならば、いかにして火種となる紛争を避けるかが重要な鍵を握るであろう。これに関して「人種主義を利用する」という新提案をここに述べる。

もちろん人種主義は誤った考え方である。完全なグローバル化が達成され(=国家の境目が消失し)たなら、人種主義はなくなるのかもしれないが、それは現実的な話ではない。恐らく国家は永遠に存続するであろう。よって、相手をその所属する共同体で判断してしまうことは避けられないことなのだ。現に、ある一人のA国人が犯罪を犯しただけで、「A国の人間は危険だ」と考えてしまう状況が存在しているだろう。

そこで、「人種主義を利用する」とは、A国人の一人ひとりがそれぞれB国人との関係を深めたとき、A国の人は数人のB国人のことを連想し、紛争に抵抗感を抱くようになるのである。この論理はひとりの外国人からその外国人全体に効果を及ぼすという点で人種主義と共通しているが、全く逆の力を有するのである。

幸い今日、インターネットの発展で外国人と新たに出会い、気軽にコミュニケーションをとれるシステムが整っている、しかし、まだまだ外国人と交流しているユーザーは少ないであろう。今後、外国人との交流に主眼をおいたデバイス開発の市場が開けるかもしれない。

逆説的な人種主義の利用で紛争がなくなれば良いと思う。もっともこのような平和ボケした理論だけでは戦争がなくなるわけはないと批判されるかもしれないが…。平和が一番なのである。