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絶対音感について

 絶対音感という能力がある。音を聞いただけでその音の音名が分かるという能力のことだ。筆者には幸運なことにその能力が備わっているが、それに気づいたのはほんの数年前のことである。それまでは楽器を演奏する人なら皆音名が分かると考えていた。

 本記事では私の絶対音感がどのようなものかを記載するが、その前提知識として二点のことを伝えておかなければならない。

 第一に、音感には「絶対音感」と「相対音感」があるということだ。絶対音感は、いきなり音を聞いただけでその音名が分かるという、いわゆる皆が想像する能力のことである。これは幼児期にしか身につかないとされている。相対音感は、その名の通り相対的な音感のことで、ある音が他の音より高いことが分かったり、基準となる音の音名が分かればそこからの差を元に、聞いた音名を割り出せたりする能力のことである。これは、訓練することで年齢にかかわらず身に付くとされている。

 第二に、上述した音感には個人差があるということだ。楽器の音なら音名が分かるという人もいれば、物を落とした音や声など全ての音の音名が分かる人も存在し、一口に音感とはこういう能力だということは難しいのである。

 それでは本題に移る。先に断っておくが、私は絶対音感が備わっていることを自慢したいわけではない。先述のように、数年前まで絶対音感に気づかなかったことからどれほど大したものでないかは想像できるだろうし、特に歌がうまいわけでもない。単に、絶対音感がどのように聞こえるのかを述べたいだけである。

 私は楽器の音であれば音名を判断することができる。しかし、全てというわけでなく、極端に低い音や高い音は判別できない。また、同時に聞けるのは4音ほどであると思う。楽器の音に限らず、ガラスコップを叩いた音や、救急車のサイレンなど、楽器に近い音であれば音名が分かるが、物音や話し声など、楽器音とはかけ離れた音を音名にすることはできない。いわゆる初歩的な絶対音感であろう。

 つづいて、音名がどのように判断できるかについて述べる。私が思うにこの能力は言語と強力な連関を有しているようだ。ある人が「ほげー」と言えば、当然私たちはその人の声で「ほげー」と聞き取れる。絶対音感もそれと同様で、ある楽器で「ラ」の音を鳴らせば、その楽器の音で「ラ」と言っていることが聞き取れるのである。つまり、音を聞いた途端にその音名が分かるのであり、聞いた音を音名にする作業は存在しないのだ(もしくは瞬時に脳が変換をしているのかもしれないが、少なくとも私にはその作業が行われているとは意識されない)。

 絶対音感の音名と言語の連関を証拠づける要因として、一つ例をあげる。私は音楽を聞いたらすぐに音名が分かるが、その音楽に歌詞がついてしまうと、全くと言っていいほど音名が分からなくなるのだ。恐らく、同じ言語という段階において、「歌詞」と「音名」が競合し、歌詞を聞き取る能力が音名を聞き取る能力に勝るため、このような結果が生じるのではないだろうか。つまり、歌詞と音名は同じ脳の部分で処理され、双方とも両立しない「言語」の段階に属しているのだ。

 さらに話は具体化するが、ある曲を滅茶苦茶な音名で歌われた場合、私はその正しい音名を判別できない。一方で、全ての音を「ラ」や「ル」で歌ったり、ハミング(鼻歌)で歌ったりした場合、その「ラ」や「ル」を言語として捉えないように聞くことで、私は音名を判別することができるのである。ここまでくると自分でもその境がよく分からずもはや感覚的な話になるのでなかなか伝わらないかもしれない。