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【ひとりごと】朝日新聞と吉田調書

 朝日新聞が載せた吉田調書に関する記事の取り消しが問題になっている。

国民は、自ら考え、冷静になるべきだ

 たかが一社の誤報を必要以上に突ついて、大した確証も無いイデオロギーのもと、一社の購読者を減らそうとしたところで何になるのか?一昔前なら左翼思想を持った人間をこの世から減らすという目的も合理的であっただろうが、現代においては右左という思想区分など時代遅れではなかろうか。社会が複雑化し、論点も多様化し、思想の区分は相対化した。革命も現実的でない日本において、その主張には何の意味があろうか。

 私が今回の件で危惧しているのは、新聞社の誤報と謝罪に国民の関心が向かい、肝心なもの、一つの会社を超えたもの、イデオロギーの重要さに比較するまでもない生命の安全という論点が薄らいでしまうことである。具体的には吉田調書の内容である。

 誤報問題に関心を持った人間の中で、吉田調書を詳しく知ろうとした者の割合はいかほどであろうか。そこには、原発事故が起こった際の生の声や、現場の感じた恐怖がまざまざと伝えられている。

 個人的には、吉田調書の内容を見た上で原発再稼働を主張できる人の心境がわからないが、例え原発推進派でも吉田調書の内容は考慮に入れるべきであろう。どちらにしろ、メディアの論点設定を絶対視せず、自ら着目し考えることが必要なのである。

 今や世論は最大の力となった。その自覚はあるだろうか。同時に世論は理論を上回った。その責任はあるだろうか。
 特段意見を区分けする必要はない。確かにその方が簡単かもしれない。しかし、その区分によって自らが騙されてしまっては元も子もない。自らが考え、是々非々の姿勢でいるべきである。